インドの旅の専門店エキスパートがインドの隅々までご案内

インド旅行ガイドIndia Travel Guide

基本情報

名称

インド共和国 / Republic of India / Bharat Ganrajya

面積

328万7590k㎡(世界第7位)

人口

14億1,717万人(2022年)

首都 ニューデリー / New Delhi
独立 1947年8月15日
行政区分 28州と8連邦直轄地
時差 日本との時差 -3時間30分
公用語

憲法公認の言語は22で、公用語はヒンディー語と英語。他に地域ごとに多くの言語・方言がある。

通貨 ルピー
国旗 サフラン・白・インディアグリーンが等間隔に並ぶ。中央の白部分にはネイビーカラーにて「チャクラ」が配されている。上段のサフラン色は国の強さと勇気、中段の白は平和と真実を、下段のグリーンは豊穣と成長、縁起の良さを表す。
宗教

ヒンドゥー教徒79.8%,イスラム教徒14.2%,キリスト教徒2.3%,シク教徒1.7%,仏教徒0.7%,ジャイナ教徒0.4% (2011年国勢調査)

「インド」という国の成り立ち

紀元前1500年頃~

インダス川流域にモヘンジョダロ、ハラッパー遺跡等に代表される高度なインダス文明が栄えます。

紀元前1500年~紀元前1000年頃
「前期ヴェーダ時代」

中央アジアよりアーリア人が侵入し、土着のドラヴィダ系民族を征服しながら定住化を進めていきます。

紀元前1000年~紀元前600年頃
「後期ヴェーダ時代」

アーリア人がガンジス川流域へ勢力を広め、部族制の王国が成立していきます。この時期に支配者層の発展の中でバラモン教やカースト制度が成立していきます。

紀元前600年頃~ ガンジス川流域に多くの王国が成立して興亡が続き、また仏教やジャイナ教等の諸宗教が成立します。前3世紀には初の北インド統一王朝となるマウリヤ朝が成立し、アショーカ王の庇護の下仏教が広がっていきます。マウリヤ朝滅亡後はしばらく統一王朝は生まれず、紀元後4~6世紀にグプタ朝が再び北インドを統一する他は諸国興亡の時代が続きます。
紀元後10世紀~ 西方よりイスラム勢力の侵入を受け、13世紀にはトルコ系のアイバクによりデリーに奴隷王朝が開かれます。15世紀以降はヨーロッパ諸国の侵入を受け、イギリスが徐々にインドへの介入を強めます。1857年にセポイの反乱を治めたイギリスはムガル皇帝を廃し、イギリス領インドとして統治されていきます。
20世紀以降 2度の世界大戦でインドはイギリス植民地として多くの犠牲を払って貢献しまが、その中でガンディーを中心に独立の機運が高まり、同時にヒンドゥー教とイスラム教の対立が顕在化していきます。第二次世界大戦後の1947年にインドはパキスタンと共にイギリスより分離独立を果たします。

通貨・両替・チップ

インドルピー Rupee

ルピーのほかにパイサ(1ルピー=100パイサ)という単位もありますがほとんど使われておらず、現状はルピーのみ使用されています。発行されている紙幣は10・20・50・100・200・500ルピーの6種、硬貨は1・2・5・10ルピーの4種です。紙幣にホッチキスの穴があいていたり、破れているものをよくみかけます。穴が大きかったり、裂け目をセロハンテープで止めた紙幣は「価値がない」とされ受け取りを拒否されますので、お釣等を受け取る際に十分ご確認下さい。 両替をしてルピーを受け取るときは、枚数の確認はもちろんのこと、破れていないか等コンディションも確認しましょう。

両替

国際線発着空港では、米ドル、日本円、トラベラーズチェックのいずれからも両替できます。 また、デリーやムンバイ、チェンナイ、コルカタなどの大都市や世界的に知られた観光地では、ホテルや市内の両替店にて日本円、米ドル共にルピーへ両替できます。 両替をした際に発行される両替証明書は、帰国時にルピーが残った場合など再両替が必要なときに提示を求められますので、保管しておくとよいでしょう。 ただし、ルピーからの再両替(出国時の空港内両替所で可能)は、非常にレートが悪いので、こまめに両替してルピーが余らないように調整することをおすすめします。米ドル(現金)は、土産物店、中級以上のレストラン・ホテルなどではそのまま使用できることもあります。小額紙幣(1ドル札・5ドル札など)があるとちょっとしたチップを渡すときも便利なので、日本出発前に用意をしておくとよいでしょう。 また、闇両替は違法です。いくら法外に良いレートをいわれても、うまい話には裏があることはどこの国でも同じです。 観光客があまり訪れない小さな町や農村部では、外貨両替を扱っている銀行が少ないか、全くないこともあります。米ドルの現金のみ受け付けて、日本円やトラベラーズチェックは両替できないこともありますので、移動する前には現金でルピーを用意しておきましょう。 また、両替のコツとして、500ルピー札はホテルなどでは使えますが小さな売店などではお釣がないことが多いため、両替時に一部を小額紙幣にしてもらっておくと便利です。

クレジットカード・キャッシングなど

現在インドではクレジットカード、電子マネー等が幅広く浸透しており、田舎を除く中規模以上の街であればクレジットカード決済は問題なく可能です。現金をあまり持ち歩きたくない場合、大きな買い物を予定している場合も含め、万が一の時にも役立ちますので、一枚は持っておくと安心です。海外キャッシングサービスが可能なカードをお持ちの場合は、ATMにて現金の引き出しも可能です。都市部ではいたる所にATMがあります。ただ一度にキャッシング可能な限度額は決まっており、また一回の取引につき手数料200~300ルピーが必要ですのでご注意下さい。

チップ

インドにはもともとチップの習慣はありませんでしたが、イギリス植民地時代に持ち込まれた習慣として今も残っており、観光客の増加に伴い浸透してきました。 インドではあくまでも心付けですので、必ず渡すべきものではないですが、旅行中の場合「ありがとう」の意思表示にもなり、渡しておくとものごとが円滑に進むことも多いです。また、ある程度は期待されているという現状もあります。

チップの目安ですが、例えばホテルのポーターに荷物を部屋まで運んでもらった場合、1個20ルピー程度をポーター代として渡すのが一般的です。ルームサービスや頼んだ洗濯物を部屋まで運んでもらった場合(ランドリーサービス)にも、20ルピー程度のチップを渡しましょう。 枕銭も置くのが一般的で、大体一晩100ルピーが目安です。5つ星ホテル内にあるレストランや、街中の高級なレストランでは通常、10%前後のサービス料が含まれていますが、100ルピー以下のお釣はチップとして渡すのが普通です。サービス料が含まれていない場合は、合計支払い額の5~10%くらいを添えます。安宿や中級以下のホテル、町の食堂では上記のようなチップは不要です。 チップはあくまでもサービス内容に満足した場合に渡すものですし、満足いかないサービスを受けたときにチップを渡す必要はありません。また、特別にサービスを頼んでいないのに「チップが欲しい」といわれるケースがあるのも事実です。スタッフ教育の行き届いていないホテルでは、頼んでいないのにお茶を運んできて「チップ」というようなケースもあるようです。チップはあくまでも頼んだことに対するサービスへのお礼です。不要な場合は「ノー」というはっきりとした態度も必要です。

気候・服装・持ち物

インドの気候

インドは大変広大な土地面積を有しており、また各地方によって地理条件も異なりますので、場所により気温・気候が大きく異なります。まずインドの気候は大別すると「乾季」「雨季」の2つに分けられ、乾季のなかでも酷暑にあたる2か月間が「暑季」といわれています。北インド平野部では、6月~9月中旬または下旬頃までが「雨季」、9月後半頃~5月後半頃までが「乾季」です。乾季のうち3月~5月頃が「暑季」となり、一年で最も暑い時期です。デリー都市部でも日中は40℃を超え、ラジャスタン州・グジャラート州あたりでは50℃を超えることもあります。雨はほとんど降らず、日差しも強烈なので屋外での長時間の滞在は危険です。逆に、北東部に位置するダージリンやシッキムなどは、避暑地としてのシーズンを迎えます。

<インド北部>
■6月~9月:6月、インドの南側からモンスーンが発生し始め、雨季が始まります。モンスーン前線は南から北へと徐々に移動し、9月頃まで続きます。日本の梅雨とは違いスコール性の強烈な雨が短時間降り、その後はカラリと晴れることが多いです。ただ、近年は豪雨による道路冠水や空港閉鎖等、市民に影響を及ぼす程の記録的な豪雨の発生も少なからず発生しており、注意が必要です。なお、インド山岳部(ラダック・インドヒマラヤ等)は、逆にこの季節がベストシーズンです。10月以降かなり厳しく冷え込むため観光は難しく、6月~9月が適しています。この時期は国内外から多くの観光客が訪れ賑わいます。

■10月~2月:北インド平野部のベストシーズン。乾季に入り、雨もなく天候が安定するため観光に訪れるにはこの時期がお勧めです。ですが、12月~1月までは、北インドはかなり冷え込みます。朝晩は気温10℃を下回りますので、ダウンジャケットやフリースの着用が必要です。日中は天気が良ければ20℃前後になることもありますが、濃霧が発生することも多く、その場合気温が上がらず日中でも冷えます。また、デリー周辺の北インドの空港では、この濃霧の影響を受け航空機や鉄道が欠航になったり、大幅に遅れたりすることがあります。

<インド南部>
年間を通して気温差はあまりなく、日中30℃前後の気温が一年中続きます。モンスーンの影響を受ける時期についてはエリア毎にやや異なり、インド西海岸側(コーチン等)は6月~10月頃まで、反対に東海岸側(チェンナイ等)は9月~11月頃に一番モンスーンの影響を受け、雨量が増します。また、サイクロン等大型熱帯低気圧が直撃することも多いです。

服装

インドは場所・時期によって大きく気候条件が異なりますので、訪問先の事情について、予め調べてご準備の上ご渡航ください。インド全国的にいえるのは、インドの鉄道、国内線機内、レストラン等公共のスペースでは冷房が効きすぎて寒いことが多いので、薄手のカーディガンやジャケット、大判のスカーフなどがあると重宝します。また、インドでの服装で注意したいのは、インドの習慣に従って、特に女性はあまり肌を露出した服装をしないことです。短パンやミニスカート、タンクトップなど、足や肩を露出した服を着ることは避けたほうがよいでしょう(都市部ではミニスカート姿の地元の女性もいますが、外国人が同じ格好をしているとかなり目立ちます)。 また、タミルナードゥ州の寺院では、入場時に厳しい服装の規定が設けられています。見学時はお気を付けください(ジーンズ、短パン、レギンスやスパッツなど足の線がでるもの、スカート、襟なしのシャツですと入場できません)。

インドの旅にあると便利な持ち物

トイレットペーパー

観光地や町のレストランでは、設置がないことも多く、予め用意しておくと安心です。

日焼け止め

夏はもちろん、冬でも紫外線は強いです。最近はインドのどの町でも手に入りますがインド製がほとんどです。気になる方は日ごろ使っているものを持っていくほうがよいでしょう。

常用薬

飲みなれているものを持っていきましょう。インドの薬は日本人には強すぎるものが多いです。またインドを初めて訪問する方は、念のため胃薬、整腸薬があると安心です。

大判のスカーフ 冷房が効きすぎている場合、土埃や日差しが強い場合などマルチに活用できます。コットンのものはインドで安く手に入ります。
折りたたみ傘 突発的に雨が降った際等にあると便利です。日差しが強い場合は日傘としても使えます。
マスク・うがい薬 街中は非常に埃っぽいので、あると重宝します。のどから風邪をひいたりしないためにも持って行きましょう。また、近年デリー等の都市部は大気汚染が深刻な問題となっており、地元の方でも日ごろからマスクをしている方も多くなってきました。
虫除け ガス式でない虫除けスプレー、蚊取り線香があると便利です。現地でも手に入りますが日本製はよく効きます。刺されてしまった時の塗り薬もあると安心です。

インド観光ビザ発給再開に伴うご案内 (2023年1月17日現在)

1:可能な限りご出発前に有効なビザを申請してください。(レギュラービザ又はe-Tourist Visa)
2:e-Tourist Visaはインド国内29の空港で対応可能です。30日/1年/5年の有効期限があります。
3:アライバルビザは6つの空港(デリー、ムンバイ、チェンナイ、コルカタ、バンガロール、ハイデラバード)のみで対応可能です。

ビザ(査証)について

インドは入国にあたり査証の取得が必要です。 査証取得方法は、現在、
「レギュラービザ 」「E-VISA 」「アライバルビザ 」の3パターンがあります。
ここでは観光目的で入国される場合の査証申請方法をご案内いたします。

  • レギュラービザ
  • アライバルビザ。空港でパスポートにスタンプ形式で押されます
  • E-VISA

■ビザ申請にあたってのご注意


パスポートの確認事項

インド査証の申請時、パスポートの残存期間は6ヶ月以上、パスポートの査証残存ページは、見開き2ページ以上が必要です。
※ビジネス等観光以外の目的の方は、在日本インド大使館のWEBサイトをご確認ください。
※インド査証の要項は頻繁に変更されますので、査証取得の際は、最新の情報をご確認ください。


■観光ビザ:レギュラービザ

在日インド大使館・領事部にて申請します。 詳しくは、大使館のWEBサイトをご確認ください。

関連情報:在日本インド大使館領事部 ビザ情報
※弊社の親会社である、日本の西遊旅行にて代行申請も承っております。担当をご紹介させていただきますので、ご希望の際はお知らせください。

■観光ビザ:E-VISA(電子ビザ)

インターネット上で行うビザ申請。事前にビザ発給承認を取り付けておき、インド到着時に生体認証を経てインドに入国する方法です。インド入国の4日以上前までにオンラインで手続きをする必要があり、支払はクレジットカード決済となります。手続きは在日本の大使館・領事館を通さないため、パスポートを大使館等に持ちこむ必要がなく、緊急の渡航の際等大変有用です。

1: E-VISAは最低4日前までのお申し込みが必要です。申請後、ETA承認画面を印刷してご旅行にお持ちいただくようお願いします。
2: インド入国日に6か月以上有効期間が残っているパスポートが必要です。
3: ビザ申請料(25米ドル) 。ウェブサイト上でクレジットカードまたは、デビットカードによる決済になります。1度払った料金の払い戻しはできません。
4: Eビザは暦年(1月1日から始まり12月31日までの期間中)で2回まで申請ができます。

関連情報:インド政府 E-VISA申請プロセス

■観光ビザ:アライバルビザ (到着時ビザ)

予め用意した申請書をご持参いただき、インドの空港到着時に取得します。料金は2,000ルピーもしくは同等の通貨です。手続きは空港到着時のみであり非常に簡単で、通常は1時間程度で終わります。ただし、弊社のお客様の中で最長4時間かかった例もございますので、時間には余裕をもってご利用ください。

1: デリー、ムンバイ、チェンナイ、コルカタ、バンガロール、ハイデラバードの6空港のみで可能。その他の空港ではアライバルビザでの入国はできません。
2: 日本人については、到着時ビザ1件につき最長30日、入国が1回まで許可されます。
3: 写真は、カウンターにて手続き時に機械により撮影されますので不要です。

▼必要書類

・帰国便の航空券
そのほか、細かな規定・注意事項がございますので、下記の大使館のサイトをご一読ください。

関連情報:在日本インド大使館領事部 日本人向け到着時ビザプログラム

査証に関する詳細なお問い合わせは、下記へお願いします。

[東京] 東京インド大使館
〒102-0074 東京都千代田区九段南2-2-11
Tel:03-3262-2391~97
※管轄区域:愛知、岐阜、福井以東の都道府県と沖縄

[大阪] インドビサ申請センター
〒541-0056 大阪府大阪市中央区久太郎町1-9-26 船場ISビル10階
Tel:06-6261-7299
※管轄区域:滋賀、三重、京都以西の都道府県(除く沖縄)

インドには17の国際空港があり、東西南北様々な場所からインドにアクセスすることが可能です。ここでは、北インドの玄関口、デリーのインディラガンディー国際空港の場合についてご紹介します。
空港の手続きは変更になることもあります。参考情報としてお読みください。

入国の流れ

■入国審査

機材が着陸したら、ボーディングブリッジにてターミナル内部へ。すべての乗客は同じ方向へ進みますので流れに沿って進み、エスカレーター又は階段で1階に降りると、入国審査場です。入国審査場は、左右で「FOREIGNER(外国人)」「INDIAN(インド人)」に分かれています。「FOREIGNER(外国人)」側は、さらに入国する査証タイプによってカウンターが異なり、「Sticker(レギュラービザ)」、「E-VISA」、「ARRIVAL VISA(到着ビザ)」の3つに分かれています。該当するカウンターのレーンに並んでください。
カウンターでは、入国カードとパスポートを提出して入国審査を受けます。到着ビザの方は別途支払いと指紋登録、E-VISAの方は指紋登録を済ませます。 審査後、カウンターを離れる前に入国スタンプが到着した日の日付で押されているか確認しましょう。道なりに沿って進むと、免税店エリアを抜けて、荷物を受け取るターンテーブルエリアに出ます。
  • 道なりに進みエスカレーターを降ります
  • 向かって左側がインドパスポート、右側が外国籍パスポート用のカウンター

■荷物の受け取り、両替

免税店を越えるとターンテーブルが見えます。モニターにてご自身の搭乗便とレーン番号を確認し、指定のテーブルにてお荷物を受け取ってください。また、ターンテーブルエリアには、お手洗いと両替用の銀行が数か所あります。荷物が出てくるまで時間がかかることが多いので、その間に済ませておくと良いでしょう。空港内の銀行では、日本円、米ドル、その他の主要通貨から両替が可能です。レートは街中の両替店と同等かやや悪いくらいですが、手数料がかかります。両替の際は、紙幣の枚数とお札のコンディション(破れていないか)を確認してください(詳細は「通貨と両替、チップについて」をご参照ください)。
※ターンテーブルで最後までご自身の荷物が出てこなかった場合、日本でチェックインしたときに渡されたクレームタグ(荷物の預り票。チケットの裏にシールで貼られていることが多い)を空港係員に見せて、荷物が出てこないことを伝えて下さい。

■税関審査

荷物を受け取った後、出口に向かって進みます。出口手前で税関審査があり、「免税(緑色)」「課税(赤色)」の2種類があります。特に課税対象の物を持ち込んでいない場合は、免税(緑色)へと進んでください。現在、インドへの旅行者はカメラ等旅行に必要とされる品物に限り、各品目に1個までは申告なしでの持ち込みが認められています。
<注意が必要な持ち込み品>
●たばこ:200本(1カートン)または葉巻50本。また、2019年より電子タバコの持ち込みが禁止されています。持ち込んでいた場合処罰の対象となります。
●アルコール類:2リットルまでの持ち込みは無税で可能、それ以上は課税の対象となります。

■空港出口

出口では、大勢の人が出迎えに来ており、通常は旅行会社/ホテルに送迎車両を手配された方には、こちらでスタッフがお名前の書かれたボードを持ってお待ちしております。また、車両を事前に手配されていない方でも、ターミナル内に政府運営のタクシー会社、Meru(メル―)等の民間のタクシー会社のカウンターがございますので、ご自身でその場で申し込みも可能です。
インドではタクシーアプリ(UBER、OLA等)かなり発達しておりますので、有効な携帯番号をお持ちの方は、アプリにて送迎を頼むことも容易です。目的の行き場なくターミナルを出ますと、すぐさま「タクシー?タクシー?」と観光客を相手にぼったくり価格にて話を持ち掛けてくる人がいますので、絶対に相手にしないでください。デリーの空港から市内までは行き先、交通状況にもよりますが、車で40分~1時間、グルガオンまでは20~40分程です。
  • ビザの種類ごとにカウンターが別れています(写真はE-VISA用)
  • 到着ビザとE-VISAの方は指紋を登録します
  • 出口

出国の流れ

■空港へ

空港へは2時間30分~3時間前を目処に到着するようにしましょう(夕方のデリー/グルガオン市内はひどく渋滞します。余裕をもって空港に到着できるよう予定を組んでください)。空港の建物の中には、出発便のチケットを持った方しか入れません。もしガイドがお見送りに同行していた場合、建物の外にてお別れとなります。建物の入口で係員にチケットとパスポートを見せて中へと進みます。

■チェックインと再両替

各航空会社のカウンターでチェックインをします。チェックインには、パスポート、Eチケットが必要です。搭乗券、荷物のクレームタグをもらったら今一度内容を確認してください。 もしインドルピーが余ってしまった場合は、空港ターミナル内にある銀行で再両替ができます。その際、両替時に受け取られたレシートが必要です。

■出国審査

出国審査場では、外国人用のカウンターに並びます。必要書類は、搭乗券、パスポートの2点です。出国スタンプをもらった後は、手荷物のX線検査とボディチェックを受けます。液体、刃物類、マッチ、ライターは没収されますのでご注意下さい。通過した先に、免税店、レストランのエリアがあります。ここでの支払いはインドルピーをはじめ米ドル、日本円その他の主要通貨で可能です(クレジットカードでの支払いもほとんどのお店で受け付けています)。
※インドの場合、搭乗口の直前の変更、また出発時間の変更が度々ございます。各所に設置されているモニターをこまめにご確認ください。

国内の交通手段について

■インド国内線

インドは広大ですので、例えばデリーから国内で最も南に位置する空港・トリバンドラム空港まで、直行便を利用しても3時間30分はかかります。これを陸路で移動するとなると、3日はかかるでしょう。限られた旅行期間のなかで効率的に移動するには、国内線は欠かせません。インドには160程の空港がありますので、目的地はもちろん、フライトの運航スケジュールによって空港を選ぶことも可能です。国営であるエアインディアをはじめ、LCCのインディゴ、スパイスジェット等、現在4社がメインで運航している他、ハイデラバードを起点に南インド側のみで運航しているトゥルージェット、バンガロール拠点のスターエアといった航空会社もあります。 国内線のチケットの予約は非常に簡単です。各社のWEBサイトを見てスケジュール、価格をチェックし、一番適当なものをそのままオンラインで購入します。すぐにメールでEチケットが届くのでプリントアウトして当日持参するか、携帯の画面メモ等で記録しておき、予約番号と便詳細、お名前が確認できるようにしておきましょう。なお国内線チケットの料金は残席数によって変動し、直前であるほど高価になるので、予定が決まったら早いうちに購入しておかれることをおすすめします。

■鉄道

列車に揺られ変わりゆく車窓を楽しんだり、車内での地元の方との交流を楽しんだり、鉄道の旅には魅力がたくさん詰まっています。寝台列車を使えば効率よく移動できますし、なにしろ長距離移動の際は料金的に一番リーズナブルであることも魅力です。インドの鉄道はイギリス統治時代に発展し、現在はインド国内にまるで網の目のように張り巡らされています。インド国民にとっても鉄道は大変身近な交通手段で、中長距離の移動といえば鉄道を利用します。駅舎に行くと家族総出で大変な量の荷物を持ってホームで列車待ちをしているたくさんの方を必ず目にするでしょう。インドの場合、鉄道が定時運行する確率は低く、長距離列車であればあるほど遅れが目立ちます。逆に、デリー⇔アグラ間を走る特別急行等の短距離列車は、定時運航率は高いです。長距離列車移動を旅程に組み込む場合は、ある程度の余裕を持たせて組むようにしてください。

インドの鉄道は、一部のローカル線を除き予約・運航システムは全てコンピューター化されています。鉄道の移動区間を決めたら専用サイトにて列車の出発時間、空席、乗車運賃等全て調べることができ、そのまま購入もできます(乗車日の120日前からチケット購入は可能です)。座席は全て区分され、「一般枠」・「高齢者枠」・「外国人枠」、等に分かれています。もし「一般枠」が満席の場合でも、「外国人枠」でしたらチケットがまだ残っているかもしれません。オンラインでチケットを購入した場合、メールにてチケットが届きます。列車情報、予約番号、コーチ(車両)番号、座席番号が記載されておりますので、プリントアウトして持参するか、画面表示等ですぐに確認できるようにしておいてください。また、駅舎でのチケット購入も可能です。 乗車日になりましたらチケットを忘れず持参のうえ、駅舎へ。電光掲示板にて列車番号とプラットフォーム番号を確認して、指定のホームにて列車を待ちます。列車が来たらそのまま乗車してください。車内では、一度検札がありますので、車掌が回ってくるまでは、ご自身の席を離れない方が良いでしょう。乗車中、車内での貴重品管理には十分ご注意下さい。

  • ニューデリー駅
  • 駅舎内の電光掲示板
  • 鉄道の紙チケット(一例)

■長距離バス

長距離バスもインドでは主要な移動手段です。とくに、鉄道では乗り換えをしないと行けない区間を直通バスが走っていることも多いですし、線路が敷かれていない北部山岳エリアの訪問の際は、長距離バスは大変便利です。主要な町には必ずバススタンドがあり、そこでバスの予約や切符販売も行っています。最近はオンラインでもバスチケットの予約も可能です。 途中適宜食事やトイレストップをしますので、お食事などの心配も必要ないです。

■メトロ

デリーを始め大都市ではかなり発達しているメトロ。道路状況に左右されず安価にて移動できるので、大変便利な手段です。移動したい場所までの乗車料金を確認し、トークンというコインを買うか、何度か乗車予定の場合はプリペイド式のメトロカードを購入するとより便利です(別途カード自体の料金200ルピーがかかります)。現在デリーのメトロ網は東西南北にどんどん伸びており、メトロでの移動可能範囲は年々広がっています。空港⇔デリー市内中心部を結ぶ特急ラインもあるので、空港から市内へ安く移動したい方にはおすすめです。なおメトロ乗車の際は、手荷物X線検査とボディチェックを受ける必要があります。お酒は持ち込めませんのでご注意下さい。
Delhi Metro Rail Corporation http://www.delhimetrorail.com/

■バス

料金的には一番安い移動手段になりますので、大抵は非常に混んでいます。バスルートを予め確認してから乗るか、バスのドライバー、係員に降車地を伝えておくとよいでしょう。市内での利用は所要時間が非常に読みにくいためあまり利便性が高いとは言えません。

■タクシー

旅行会社等に専用車を頼む場合と、ホテルや空港、駅などでのタクシースタンドに停車しているタクシーを利用する場合、タクシーアプリを利用する場合の3パターンがあります。街中で流しのタクシーをつかまえることはできませんので、タクシーを拾える指定の場所に行くか予め手配をしておく必要があります。タクシーを利用する場合、行先や、内容(利用時間・走行距離)に応じて料金が決められておりますので、ドライバーや旅行会社と確認のうえ利用するようにして下さい。 また、ここ数年ではタクシーアプリ(UBER、OLA等)が発達し、インドで携帯のSIMカードを購入しアプリをダウンロードすれば、外国人旅行者でもすぐに利用できる仕組みとなりました(※UBER等は慣れると便利ですが、ドライバーが英語を全く分かっておらず問題が生じたり、希望のタイミングでドライバーを捕まえることができない等起こり得ますので、緊急時のご利用はお勧めいたしません)。

■リキシャ

デリーの場合、オートリキシャは黄色と緑のツートンカラーで、後部座席に大人2~3人が乗れるようになっている三輪自動車です。中距離の移動や、荷物が多いときに便利です。オートリキシャは料金メーターが備え付けられていますが、故障か機能していないことも多く、乗る前に行先を伝えて交渉を行う必要があります。相場を知らないと、ふっかけられて大金を払ってしまったり、頼みもしない場所に連れて行かれたりと、トラブルも起こりえます。事前に距離に応じた相場を確認しておくことが望ましいです。また必要ないときは、はっきりとした態度で断る等、対応してください。 駅や、高級ホテル前で客待ちをしているオートリキシャは、外国人に対してふっかけてくる可能性が高いので、少し離れたところで、流しのリキシャを捕まえるとよいでしょう。

■サイクルリキシャ

いわゆる人力車で、大人1-2名が乗ることができます。小回りが利くので少し入り組んだ道を行く場合や、短距離の移動に便利です。特にオールドデリーやバラナシの旧市街等を回るのにぴったりです。人力のスピードで街の様子を感じることができます。サイクルリキシャは通常、モールやメトロ駅前にてよく待機しています。こちらも料金は事前交渉制です。乗る場合はお釣りがでないように10ルピー札を多めに用意しておきましょう。

  • 空港のタクシー会社のカウンター(左下の画面はタクシーアプリ)
  • オートリクシャ
  • サイクルリキシャ

言葉

公用語であるヒンディー語と英語の他、公認言語として22言語、また実際に利用されている方言レベルでは700以上の言語が存在するインド。広く北インドではヒンディー語が共通語となりますが、特に南インドのタミル・ナードゥ州をはじめとする非ヒンディー語圏ではヒンディー語の共通語化に対する反発も強く、英語が共通語として重要な役割を果たしています。
インドの多言語文化を象徴するものとして知られるのがインドルピー札。表面にはヒンディー語と英語、裏面には各言語の文字を使いアッサム語・ベンガル語・グジャラート語・カンナダ語・カシミール語・コンカニ語・マラヤーラム語・マラーティー語・ネパール語・オリヤー語・パンジャーブ語・サンスクリット・タミル語・テルグ語・ウルドゥー語の合計17の言語が記されています。

■英語

英語はヒンディー語に並ぶインドの公用語として広く話されており、特にヒンディー語の共通語化に反対意見の多い南インド等の非ヒンディー語圏ではヒンディー語よりも英語の方が通用します。インド英語の発音は聞き取り辛いと言われますが、いくつかの特徴を抑えておくと理解がしやすくなります。

  1. Rを巻き舌で発音する(例:color(色)→カーラル、Burger(バーガー)→バルガル)
  2. Sから始まる語はSの前に短い「イ」が入る (例:School→イスクール)
  3. THは「ダ」で発音する (例:Father→ファダル)

■ヒンディー語

インドの連邦公用語として全国的に最も話者人口が多い言語です。インド各州の公用語とは別に、学校でヒンディー語を学習します。ヒンディー語はインド・アーリア語派に分類され、長い歴史のなかでアラビア語やペルシア語等からも語彙がたくさん取り込まれつつ変化してきました。また、デーヴァナーガリーという文字の上に横棒(シローレーカー)を引っ張っている特徴的な文字を使用しています。
旅行中はヒンディー語が話せなくても、英語で意思疎通はできますので困ることはないと思いますが、挨拶や、基本的なフレーズをヒンディー語を覚えておくと、地元の方との距離がぐっと縮まります。ヒンディー語は語順が日本語と同じですので日本人にとっては親しみやすく、学習し易い言語です。下記、旅行中によく使うフレーズを紹介しますのでぜひ覚えてみてください。

「こんにちは」
Namaste ナマステ

「おはよう」、「こんばんは」、さらには「さようなら」まで一日中使える挨拶の言葉です。ただ、少々くだけた言葉なので、目上の人やお年寄りには丁寧語の「ナマスカール」を使うとよいでしょう。

「お元気ですか?」「ご機嫌いかが?」
Aap Kaise hain ? アープ・ケイセー・ヘン?

ナマステの後はこちらのフレーズを。英語の「how are you?」にあたります。

「はい、そうです」 / 「いいえ」
Ji Haan ジー・ハーン / Ji Nahin ジー・ナヒーン

基本的なYesとNoです。語頭のJiは、「~です」という意味です。

「OKです」、「良いです」
Thik hai ティーク ヘイ Acchaa hai アッチャー・ヘイ
両方とも本当に良く使うフレーズです。OKな旨を伝えたい時、食事が美味しいとき、いろいろな場面で使えます。
「ください」
Dijiye ディージエー 
ディージエーの前にほしいものの名前をおくだけで使えるので便利です。「チャ-イ ディージエー」(チャーイをください)、「イエ ディージエー」(これください)。
「ごめんなさい」「すみません」
Muaf Kijiye マーフ キージェー
インド人は日本人の様に気軽に「すみません」や「ごめんなさい」は言いませんので、滅多に聞くことはないと思いますが、なにか本当に悪いことをしてしまった、というときに使う謝罪の言葉です。しかしこちらは仰々しい表現ですので、普通は英語の「ソ-リー」で十分です。
「わかりません」
Samajh Nahin サマジ ナヒ-ン
相手が何を言っているのかわからないときに使います。
「これはいくらですか?」
Yeh kitna ka hai ? イエ キトナー カ へ? 
口語的な表現ですが、お買い物に便利です。タクシーやリクシャーでも使えます。「イステーション(駅)、タク(まで)、キトナー へ?(駅までいくらですか)s
「ありがとう」
Dhanyabad ダンニャバード
結構かしこまった表現ですので、インドの方は滅多に発しません。日常的に言うには「サンキュー」で十分です。
「また会いましょう」
Phir milenge!  ピル ミレンゲ!

お別れの際に使ってみましょう。

インドの宗教

人口の約8割がヒンドゥー教、約1割強をイスラム教、残りの1割を仏教・ジャイナ教・シク教・キリスト教・ゾロアスター教・ユダヤ教等が占めています。それぞれの宗教の中でも細かい宗派や分派があり、複雑なインドの宗教体系を作り出しています。

■ヒンドゥー教

紀元前1500年ごろ、中央アジアからインド北西部へ進出したアーリア人が持ち込んだヴェーダの神話に端を発し、土着のドラヴィダ系民族の征服と混交、また王国の支配者層の確立と共にバラモン教が成立しました。この時代に『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』の2大叙事詩が余れています。
紀元前3世紀以降、仏教やジャイナ教等の新しい宗教との競争の中でドラヴィダ系の神々を吸収して破壊を司るシヴァ・世界の維持者ヴィシュヌ・世界の創造者ブラフマーをはじめとする主神が設定され、それぞれの配偶者となる女神や乗り物となる動物の神などの神話体系が成立していき、現在のヒンドゥー教の基礎が作られていきました。輪廻転生の死生観や瞑想法などは仏教やジャイナ教等の諸宗教の基礎となっており、インドでは前述の2宗教はヒンドゥー教の一派と捉えられています。
ヒンドゥー教には特定の教祖や聖典が存在せず、その教義も諸宗派によって大きく隔たりがあり他の宗教とは一線を画しています。そもそもヒンドゥー教という概念自体が植民地時代にインドへ侵出した西欧文明が不可解だったインドの文化体系を理解する枠組みとして生み出されたものであり、西欧文明が捉えるいわゆる「宗教」という枠組みだけでは捉えきることのできない複雑さを持つ点が最大の特徴ともいえます。

■イスラム教

6世紀にアラビア半島で生まれたイスラム教は、10世紀ごろからインドへ侵出し、13世紀にはデリーにトルコ系のアイバクによる奴隷王朝が建てられます。絶対の唯一神アッラーを崇拝し、五行(信仰告白・1日に5回の礼拝・喜捨・断食・巡礼)の厳守を求めるイスラム教はヒンドゥー教徒と対立しましたが、少数派の支配者として主に北インドを勢力下に置いたイスラム王朝の下ではヒンドゥー教徒に対しても宥和政策がとられることも多く、建築様式や美術には両宗教の融合も見て取ることができます。現在ではインド全人口の1割強を占め、主に西インド(ラジャスタン、グジャラート)、北西インドのカシミールに信者が多く暮らします。

■仏教

紀元前5世紀に仏陀によって哲学として理論づけられた教えは仏教という宗教として受け継がれ、紀元前3世紀には北インド初の統一王朝となるマウリヤ朝のアショーカ王の庇護を受け大きく広がっていきます。多くの信者を生みインドのみならず中央・東アジアまで広がった仏教ですが、インド本土では5世紀ごろには勢力が衰え、現在では主にチベットやラダック等の山岳地帯で信仰されています。

■ジャイナ教

23人の祖師の流れを受け、仏教と同時期にヴァルダマーナ(尊称マハーヴィーナ)により開かれたジャイナ教は徹底した不殺生・不所持を遵守する禁欲主義で知られます。羽虫を吸い込まないためのマスクを身に着け、虫を踏まぬよう箒をかけながら歩く巡礼者の姿が印象的です。人口は全体の1%に過ぎないものの、不殺生主義のために農業や製造業に従事できないために商業・金融業を営む教徒が多く、政治的・経済的にも少なからぬ影響力を持ちます。

■シク教

15世紀にナーナクによって開かれたシク教は、イスラム教と従来のヒンドゥー教との折衷ともいえる教義を持つ比較的新しい宗教です。世界で5番目に信者の多い宗教で、約2400万人の信者がいるといわれています。総本山となるのはアムリトサルの黄金寺院。寺院に入る際には、靴を脱いで頭をハンカチやスカーフで髪の毛を隠して入場します。また、全てのシク教寺院ではシク教徒に限らず全ての人に無料で食事を提供しています(ランガルと呼ばれています)。
体に刃物をあてることを禁ずるため長い髪と髭を持ち、髪をまとめるためのターバンが印象的です。イギリス人がインドを侵略した際にシク教徒を重用したことから、ターバンを巻いた姿のシク教徒がインド人の姿として知れ渡る様になりました。

■キリスト教

インドへの伝搬は古く、紀元後1世紀頃と言われています。本格的な布教が始まったのは15世紀以降、西欧諸国のインド進出に従ってゴアやコーチンなどを中心に主に低カースト層に対して広がりました。16世紀にはフランシスコ・ザビエルがゴアに上陸しています。現在でも南インドのケララ州などに多数のキリスト教徒がいます。

■拝火教(ゾロアスター教)

中央アジアからインドへ移住したグループとは別にイラン方面へ移住したアーリア人グループの宗教が原型となるゾロアスター教はツァラトゥストラによって再編され、以降ペルシア帝国支配域や中央アジアを中心に広がり、ササン朝ペルシアの滅亡後に信徒がインド西部へ移住しました。インドでのゾロアスター教徒はパールシーと呼ばれ、現在はムンバイを中心に生活しています。インドでは極めてマイナーな宗教ではあるものの、教育水準の高さとビジネス界での成功によって、インド社会への影響は非常に大きく、ターター財閥の創設者ターター氏もパールシー教徒として知られます。

■ユダヤ教

コーチンには紀元後52年に最初にユダヤ人が移住しました。その後も長くスパイス貿易で栄え、英連邦最古のシナゴーグも建設されましたが、1948年のイスラエル建国の際に彼らのほとんどがこの地を去り、現在ではケララ州コーチンやムンバイなどのごく限られた地域に居住区に数家族が残るのみとなっています。

ヒンドゥー教の神々

三神一体 左からブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ

ヒンドゥー教の原型となるバラモン教は紀元前1500年頃に中央アジアから移住してきたアーリア人の崇めたヴェーダの神々がインドの土着信仰を吸収する形で発展して成立します。後に仏教やジャイナ教などが信徒を広げる中、バラモン教の教義や神話を発展させて成立したものが現在のヒンドゥー教へ繋がります。
ヒンドゥー教の主神は破壊と再生を司るシヴァ、維持神ヴィシュヌ、創造神ブラフマーの3柱ですが、現在では大きくシヴァ派とヴィシュヌ派に分かれています。ヒンドゥー教の成立過程の中で土着の神々をヒンドゥー教の神の化身であると解釈して新たな信徒を獲得していったため、ヒンドゥー教の神々は複数の事象を司る者がほとんどで、多くの別称を持っています。また、主な神にはそれぞれ配偶者となる女神が設定されて行き、現在は女神信仰も盛んになっています。これも土着の神々をヒンドゥー教の神々の妻、あるいはその化身として吸収して信徒を獲得していったことに起因するものです。
シヴァ神が牡牛:ナンディに乗ることからヒンドゥー教では牛が神聖視されているように、主な神には乗り物となる動物も設定されています。また服装や手に持っている武器や道具なども定められており、寺院の彫刻、また車やお店に飾られている宗教画ではこれらの要素からそれがどの神様なのかを知ることができます。地域によって人気のある神様も違い、それぞれの神の様々な祭りが催されています。

■シヴァ

シヴァ・ファミリー 左からガネーシャ、シヴァ、パールヴァティ、スカンダ

破壊と再生を司る神で、現代のヒンドゥー教ではシヴァ派が最大の勢力となっています。三叉戟と太鼓を携え、額には第三の目と不死を象徴する三日月、髪からはガンジス川が流れ出る姿で描かれます。古くはヴェーダに登場する暴風雨(モンスーン)を司るルドラというアスラ(魔族)が祖となりますが、ヒンドゥー教の発展の中で様々な神々を吸収し主神となっていきます。破壊を司るものとしてはハラ(万物を破壊するもの)、バイラヴァ(恐ろしい殺戮者)、再生を司るものとしてマハ-デーヴァ(偉大な神)、パシュパティ(家畜の主)、シャンカラ(恩恵を与える者)と呼ばれ、寺院ではシヴァリンガの形で崇拝されます。その他にマハ-タパス(偉大な苦行者)、ガンガータル(ガンガーの所持者)の姿を持ち、シヴァ・ナタラージャ(踊るシヴァ)の姿は日本でもよく知られています。
妻のパールヴァティはヒマラヤの女神ですが、後にドゥルガー、カーリー等東インドの土着の神を化身として吸収していき、現在ではこの女神信仰も大きな一派となっています。シヴァとパールヴァティの間にはガネーシャとスカンダの2神があり、シヴァ・ファミリーとも言える一派を形成しています。

■ヴィシュヌ

ヴィシュヌ神の化身・ラーマ(中央)。『ラーマーヤナ』の主人公

シヴァに並び人気のあるヴィシュヌは世界の維持神としての性格を持つほか、10の化身を持つことで知られます。これも様々な神や神話を吸収する中で生まれたものですが、化身であるクリシュナやラーマは時にヴィシュヌ以上に人気のある神です。
ヴィシュヌは4つの手に円盤、棍棒、ほら貝、蓮華を持ち、神鳥ガルーダに乗ります。妻のラクシュミーは日本の吉祥天の原型で、2頭の像に水をかけられている「ガジャ・ラクシュミー」という吉祥図が良く見られます。

1 マッチャ(魚)

大洪水の発生を予言して船を贈り、王仙にすべての生物の種を集めさせて洪水から守った魚。大洪水の後、自らがヴィシュヌであることを明かしました。世界各地に類型のある大洪水神話の一つです。

2 クールマ(亀)

不死の薬:アムリタを得るために神々と魔人がマンダラ山を軸としてお互いに綱を引っ張り合って海をかき混ぜた。あまりにその力が強く山が崩れそうになった際、ヴィシュヌは亀に姿を変えて海に潜り、山を支えます。その結果海からは様々な宝が生まれ、神々はアムリタを得ることができました。

3 ヴァラーハ(野猪)

魔人ヒラニヤークシャによって大地が海に沈められた時、ブラフマーがヴィシュヌに祈りを捧げて助けを乞い、ヴィシュヌの鼻から小さな猪が生まれた。猪はどんどん大きくなり、その牙で海に沈んだ大地を持ち上げ、魔人ヒラニヤークシャまでも倒してしまいます。

4 ナラシンハ(人獅子) ヒラニヤークシャの弟:ヒラニヤカシプはヴィシュヌへの復讐を誓い、凄まじい苦行により生じた炎で世界が滅びそうになるほどでした。ブラフマーはそれを抑えるために「魔人にも神にも人にも獣にも殺されない」という不死の力をヒラニヤカシプに与えます。彼はその力で世界を征服するものの、半身が獅子・半身が人間という「魔神/神/人/獣」のどれでもない姿のヴィシュヌによって倒されます。
5 ヴァ-マナ(矮人) ヒラニヤカシプの子孫である悪魔バリが世界を支配した時、住処を追い出された神々はヴィシュヌに助けを乞います。そこでヴィシュヌは矮人に生まれ変わってバリを訪ね、三歩で歩けるだけの土地を要求します。バリがそれを許すと、ヴィシュヌは突然巨大な姿となって一歩目で地上を、二歩目で宇宙を跨いでしまいます。ヴィシュヌに感嘆したバリは謝罪し、またその心を称賛したヴィシュヌはバリに地下世界を与えました。
6 パラシュラーマ(斧を持つラーマ) 聖仙ジャマダグニは、ハイハヤ国のアルジュナ王を願ったものを与えてくれる聖なる牝牛:カーマデーヌで歓待しますが、アルジュナ王は牝牛を奪って都へ逃げてしまいます。怒った聖仙の息子:パラシュラーマは斧を持ってアルジュナ王を殺し牝牛を取り返しますが、その報復としてアルジュナ王の息子たちは聖仙を殺します。パラシュラーマは再び都へ行き、全てのクシャトリヤを殺してしまいます。
7 ラーマ 叙事詩ラーマーヤナの主人公。妻シーターとともにインド国民に理想とされる人間像です。
8 クリシュナ 笛の名手であり、美少年の牧童の姿で描かれるクリシュナはヴィシュヌ神の化身のうちで最も重要で、民衆に最も人気のある神です。叙事詩マハーバーラタではアルジュナの良き友人として登場し、御者として戦争に参加します。
9 ブッダ 仏教の創始者ブッダは、ヒンドゥー神話においてはヴィシュヌ神の化身とされます。しかしこの仏陀はヴェーダを尊重しない悪しき異端者として描かれています。
10 カルキ(未来の化身)

人々が神々への祭祀を行わず、世界が混乱を極めるカリ・ユガ期(末法の時、つまり現代)の終わりに出現するとされる姿。カルキは理想的な王となり、悪、不道徳、不法を滅ぼし新しい世界を作るとされます。実在の人物をカルキとしてこの世に現れた者だとすることもあり、インド独立の父マハートマ・ガンディーもヴィシュヌ神の化身であるとヒンドゥー教徒の間で言われた時期もありました。

■ブラフマー

世界の創造神であるブラフマーは宇宙の根本原理であるブラフマンを神格化したもので3大主神の1神ですが、シヴァやヴィシュヌとは異なり神話の内容が観念的なものが多く次第に人気を失い、現在ではブラフマー派は少数派となっています。4つの顔に4本の腕を持つ姿で描かれ、ハンサ(神の使いの鳥、白鳥の一種)を乗り物としています。妻のサラスヴァティーはヴィーナと呼ばれる弦楽器を持つ姿で知られ、琵琶を持つ弁財天の姿で日本へ伝えられています。

ヴェーダの神々

紀元前1500年頃に中央アジアからインドへ移住したアーリア人は自然現象を神々として信仰し、その神話を聖典:ヴェーダとして伝えてきました。ヴェーダの神々はヒンドゥー教の神々に引き継がれ、現在でも寺院の彫像などにその姿を見ることができます。

インドラ(帝釈天)


「リグ・ヴェーダ」の神々への賛歌の4分の1が雷を操る軍神:インドラに捧げられたものであり、「神々の中の神」と讃えられる、神々の中でも支配者的な存在です。インドラはアーリア人自体を神格化したものと考えられ、後にその権威はヴィシュヌやシヴァのものとしてヒンドゥー教の神々へ引き継がれていきます。

アグニ(火神)


インドラの兄弟神であり、インドラに次いで多くの賛歌が捧げられる火を司る神。原始インド・ヨーロッパ語族は火を家庭生活の中心である「炉の火」として神聖化し、これに悪魔を除く力を認めて供物を投入したといわれます。

スーリヤ(太陽神)


「リグ・ヴェーダ」以降の太陽神。7頭の馬の馬車に乗る神として崇拝され、古代インドにて盛んに信仰されました。オリッサ州コナ-ラクの太陽寺院は全体がスーリヤの馬車を模した形に作られています。

ウシャス(暁紅の女神)


毎朝、太陽に先だって空に現れ、暗黒を追い払う女神。若い女性として表現され、スーリヤの恋人とされます。人間や動物を目覚めさせ、祭祀を始めさせる女神という性質も持ちます。

クベーラ(財宝神)


富と財産をつかさどる神。太鼓腹で、財布とともに棍棒を持つ姿で表され、ガネ-シャとともに人気があります。

ヤマ(閻魔天)


最初に死を経験した人間として、死者の国の王を務めた神。古代においては死者の魂は天界の死者の国で幸せになると考えられましたが、時代が下るにつれヤマは死者の魂を裁くものとして捉えられ、生前に悪行を行ったものは地底の地獄へ落ちると考えられるようになります。日本では閻魔天として伝えられました。

ヴァルナ(水神、司法神)


水を神格化した神で、全てのものの上に君臨し、人間の行為を厳しく監視し、司法神として罰を加える神としての性質を持ちます。

ヴァ-ユ(風神)


風を神格化した神。多数のウマの引く車に乗り、敵を追い払い、名声、子孫、家畜、財産を人に与えます。神々の使者ともされ、白い旗を手に持ち、鹿に乗った姿で表されます。

インド二大叙事詩 「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」

インドの二大叙事詩知られる「ラーマーヤナRamayana」と「マハーバーラタMahabharata」。インドを起源としながら、特に「ラーマーヤナ」は東南アジア諸国にも広がり、絵画や芸能の題材となってきました。インドでもこの二つの物語は遺跡や寺院のレリーフや彫刻に繰り返し登場し、現在でも様々な場所でモチーフとして引用されています。

■ラーマーヤナ

ラーマとその一族 左からシャトゥル・グナ、ラーマ、シーター、ラクシュマナ、前にいるのはハヌマーンとバラタ

ヴィシュヌの化身であるコーサラ国の王子:ラーマが魔王にさらわれた妻:シーターを奪還する物語。
ラーマは弟:ラクシュマナとの旅の途中で美しい大地の娘:シーターと出会い結婚しますが、王位継承の際に父の第二王妃の謀略により14年間の追放を言い渡されます。ラーマはシーターとラクシュマナと共に森で暮らしますが、ある日ランカ島(現在のスリランカ)の魔王:ラーヴァナがシーターを連れ去ってしまいます。ラーマはラクシュマナと共にシーター奪還のために旅を始め、途中ハゲタカの王:ジャターユや猿の大臣:ハヌマーンに助けられながらランカ島へたどり着き、激戦の末にシーターを奪還します。 しかし囚われていた間のシーターの貞節を信じることができないラーマは身の潔白の証明を求めます。シーターは炎の中で火神アグニに守られることで自身の潔白を証明しました。一行はコーサラ国へ凱旋し、ラーマは遂に国王となります。

■マハーバーラタ

『バガヴァット・ギーター』を説くクリシュナ

ドリタラシュートラとパーンドゥの2人の王子の子孫がクル王国の王位継承を争う壮大な戦記物語。
ドリタラシュートラとパーンドゥは王家の血を継ぐ兄弟として生まれます。兄のドリタラシュートラは盲目だったため弟のパーンドゥが王位を次ぎますが、呪いにより子を持てない身でした。そこで2人の王妃クンティーとマドゥリーは神々に祈り、ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァという5人の子を授かります。彼らはパーンドゥの息子であると同時に、神々の息子としての力ももっていました。
パーンドゥの死後はドリタラシュートラが王位につき、王妃との間に100人の子を設けます。その中でも長兄のドゥルヨーダナは従兄である5王子の力に嫉妬し、彼らを陰謀によってクル王国から追放します。 13年間の隠遁生活の後、パーンドゥの5王子はクル王国の王位奪還のためにドゥルヨーダナに対抗し、後に周辺諸国を巻き込んだ18日間の壮絶な戦争が繰り広げられます。身内同士が血で血を洗う争いは結果的に5王子の軍勢が勝利を勝ち取り、遂に王位の奪還に成功します。
マハーバーラタの中でも、ヒンドゥー教で最も重要な聖典と称されるのが、クリシュナが王子アルジュナに世界の真実を説いた『バガヴァット・ギータ―(神の歌)』です。真理は神として表れ、またそれは自分自身でもあると説いたこの教えは梵我一如の思想を明確化したものとして、後に仏教思想にも取り入れられました。

習慣とマナー・タブー

国民の8割がヒンドゥー教徒のインドでは、ヒンドゥー教に即した習慣やマナーに則ることが求められます。その土地や宗派により異なる部分もありますが、代表的なものを紹介します。

■挨拶

インドの挨拶と言えば両手を合わせて「ナマステ」。朝昼晩の時間帯に関係なく、また別れの際の挨拶にも使うことができます。目上の人などに敬意を込める際にはより丁寧な表現の「ナマスカール」を使います。また、公用語である英語での「ハロー」もよく用いられます。単純な挨拶程度であれば英語が通じる場合がほとんどです。
ヒンディー語・英語の公用語の他にも多くの言語が存在するインドでは、各州それぞれ公用語が定められています。例えばコルカタのある西ベンガル州では、ベンガル語が公用語でナマステは「ノモシュカール」、チェンナイのあるタミルナードゥ州では、タミル語の「ワナッカム」…等々。訪問した先々で簡単な挨拶だけでも覚えて使ってみると喜ばれるものです。

■ジェスチャー

インド人は会話の際に身振り手振り、表情も含めてよく動かしながら会話します。会話の際のジェスチャーで代表的なものに、「首を横に傾げる」というものがあり、OK、分かった、と意思表示をする際に使われます。日本での意味合いとはほぼ真逆になりますので要注意です。

■不浄の左手

ヒンドゥー教、またイスラム教で不浄なものとされる左手には注意が必要です。インド式のトイレでは用を足した後に左手で洗うため、素手での食事の際には基本的に右手のみを使います。また人に物を渡す、握手をする等の際にも必ず右手を使います。もちろん両手を使わざるを得ない場合などの例外はありますが、心にとめておきたいマナーです。

■食事・お酒

ヒンドゥー教で神聖視されている牛の肉を食べることはタブーとされています。一般のレストランで牛肉が出ることはほとんどありませんが、ヒンドゥー教徒の方がいる場での牛肉食の話は避けた方が無難です。また肉自体を食べない菜食主義者も多いため、会食の際などは注意が必要です。また、インドでは一度他人が口につけたものを穢れたものとする風習があります。飲みかけのコップなども同様に忌避されるため、自分が手を付けた料理を勧めないよう配慮しましょう。
お酒は一般にも飲まれていますが、州によっては禁酒州があったり、また合法の州でもドライデー(禁酒日)が設定されていたりしてアルコールのサービスが受けられない場合があります。公の場で飲酒すること自体が避けられる文化があるため、観光客向けのレストラン等以外では注意が必要です。

■観光地での注意

一般的な常識をわきまえていれば特に問題となることはありませんが、観光地として開かれている寺院や霊廟も信仰の場である、ということを忘れずに行動しましょう。寺院によっては入り口で靴を脱ぐことを求められたり、写真撮影が禁止されていたりと様々な制約がある場合があります。場所によってはそもそもヒンドゥー教徒以外は入場禁止という場合もありますので、ガイドや観光地のスタッフ、または周囲の観光客等に確認をとるようにすると確実です。
また、特に寺院の核心部は祈りのための空間となるため、大きな声での会話やフラッシュを使った写真撮影などは避けるようにしましょう。

■写真撮影

観光地により写真撮影が不可能な場所、また撮影が有料の場所がある他、特にサファリツアーなどでは動画撮影に特別な料金が必要な場所があります。旅行中に動画をよく撮影する、動物の姿を動画で残したいという方はご注意ください。また、人物の撮影をする際には必ず被写体となる方の許可を取るようにしましょう。特に女性や子供の写真を撮影する際にはその方の家族や、周りの方にも声をかけて確認するようにした方が無難です。

インドにおける音楽と舞踊

インドにおいて本来音楽と舞踊は一体であり、娯楽というよりは神々への賛歌・祈りの場として機能していました。現代では音楽のみの演奏もされますが、神々を讃えるものという性格はまだ色濃く残っています。
ドローン音と呼ばれる主旋律の背景として流れる基音や、ラーガと呼ばれる独特の音楽観が特徴であるインド音楽ですが、大きく分けて北インドのヒンドゥースタニー音楽と南インドのカルナティック音楽に分類されます。北インドではイスラム王朝であるムガル帝国の下、主に宮廷音楽としてペルシア、中央アジアの影響を受けながら発展します。日本でも知名度のあるインドの楽器としては弦楽器のシタールや大小2つの太鼓を両手で演奏するタブラなどがありますが、これらはどちらも北インド音楽で用いられるものです。
対してイスラム勢力の影響が薄かった南インドでは独自のドラヴィダ系の音楽が色濃く受け継がれ、コナッコルという独自のリズム言語を用いた複雑なリズム展開が特徴です。調律された素焼きの壺太鼓:ガタムやモールシンと呼ばれる口琴など、使用される楽器も北インドとは大きく異なります。

毎年多くの伝統音楽フェスティバルが開催されている他、現代の映画音楽やポップスの中でも積極的に伝統音楽の要素が使われており、インドならではの音楽シーンを生んでいます。またパンジャーブ地方のシク教徒の伝統音楽が欧米のヒップホップやクラブミュージックと融合して生まれたバングラビートは、現代での一つのジャンルとして既に確立した知名度を築いています。
音楽と同様、舞踊も地域ごとに特色あるものに分かれます。ムガル帝国の庇護の元に宮廷舞踊として発展したカタック(Kathak)、南インドのタミル州で宗教儀礼とともに伝承されたバラタナティアム(BharataNatyam)、南インドのケララ州で発展した男性のみのパントマイム劇カタカリ(Kathakali)、優美で民族色の濃い東北インドのマニプール州のマニプリ(Manipuri)、東インドのオリッサ州のオリッシィ(Orissi)がインドの五大舞踊として挙げられます。

インド映画

インドは世界最大の映画大国であり、今でも年間1000本以上の映画が制作されています。北インドの共通語となるヒンディー語映画以上に、南インドのドラヴィダ系言語(テルグ語・タミル語・カンナダ語・マラーヤム語)映画の製作が盛んに行われています。人気作は日本でも上映されており、1998年に日本で上映されたタミル語映画の「ムトゥ 踊るマハラジャ」は日本でもインド映画ブームを巻き起こしました。近年ではテルグ語映画の「バーフバリ」シリーズが大きな話題を呼んでいます。
「喜怒哀楽が全て詰まっている」と表現されるインド映画ですが、最大の特徴と言えば途中で挿入される歌と踊りのシーンでしょう。大衆娯楽として演劇/舞踊から発展したインド映画には欠かせない要素であり、また露骨な性描写を象徴的に表現するための手法でもあります。最終的にハッピーエンドで終わるのも古典的なサンスクリット戯曲のあり方を踏襲しています。
テレビの普及により一時は不況が懸念された映画産業ですが、現在でも庶民の最大の娯楽として絶大な人気を持っており、日本をはじめ諸外国にも輸出され、現在も着実にシーンを拡大しています。

インド豆知識

■マハラジャ

マハー(Maha=偉大な)+ラージャー(Raja=王)というサンスクリット語に由来する言葉で、「偉大な王」「大王」を表す、歴代のインドの王によって用いられた称号です。映画「ムトゥ踊るマハラジャ」や、インドの国営航空会社・エアインディアのマスコット「マハラジャ君」、はたまた街のインドレストランの名前等でよく見聞きする単語ではないでしょうか。ちなみに「ラージャ」は統治者がヒンドゥー教徒の場合で、イスラーム教徒の場合は「ナワーブ」(ハイデラバードでは「ニザーム」)の称号が用いられていました。現在も、藩王(マハラジャ、ナワーブ)の末裔はインド各地に存在しており、地元の人々の尊敬と注目を集めています。

■チベット難民とダライ・ラマ

1959年3月10日、ラサでチベット蜂起が始まると、争いによって大量の死者が出ることを懸念したダライ・ラマ14世法王はラサを脱出する決心をし、3月17日の夜、ノルブリンカ宮殿を出発し険しい山々を越えてインドに向かいました(中国軍はその後チベット人86,000人を殺害してわずか2日で蜂起を鎮圧したといわれていますが、この数字に中国政府は異論を唱えています)。ダライ・ラマ法王一行は3月31日にインドに辿りつき、4月29日に北インドの山岳部ムスーリにチベット亡命政府を立ち上げました。またこの時、ダライ・ラマ法王を追って約8万人のチベット人が危険を冒してインドへ亡命しています。1960年、インドのネルー首相がダラムサラをチベット亡命政権の拠点として用意した事を受け、4月に移動、5月亡命政府をダラムサラに樹立しました。現在ダラムサラにはたくさんの亡命チベット人が暮らしており、街中にはゴンパ(チベット仏教の僧院)が建ち、商店には仏具や仏画が売られ、チベット料理のレストランが多数並ぶ、チベット文化が息づく街となっています。

■インド建国の父マハトマ・ガンディー

インドのお札には全てマハトマ・ガンディーの肖像画が印刷されています

本名はモーハンダース・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)。インド建国の父として知られ、インド人大衆に広く親しまれ、支持されてきました。マハトマとは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたガンディーの尊称です。彼は1869年に西インド・グジャラートで裕福なヒンドゥー教徒の家に生まれました。 1988年イギリスに留学して弁護士となり、その後渡った南アフリカで弁護士として勤めるうちに、現地でのインド人差別に直面。彼らの市民権獲得のために活動を続けるなかで、のちの非暴力・不服従という思想を形成していきました。第一次世界大戦後は、独立運動をするインド国民会議に加わり、不服従運動を展開します。なかでも「塩の行進」として知られるイギリス行政の象徴である塩税に反発した運動は、インドの農民大衆層を含む全体的な規模で、インド国民を反英闘争へ巻き込むことになりました。ガンディー氏の不屈の精神と思想はインドをイギリスからの独立に導き、また世界中の人権運動に影響を与えました。 しかし一方でヒンドゥー教とイスラム教の融和を図った彼はヒンドゥー原理主義者から敵対視され、1948年にデリーにて暗殺されます。
インドでは、毎年10月2日はガンディー氏の誕生日「ガンディー・ジャヤンティー」という国民の祝日となっています。

■額の丸はいったい何?

インドの女性といえば、美しいサリーを纏い、額に赤い丸印を貼った状態を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。額の丸印は「ビンディ」といい、ヒンドゥー教徒の既婚の女性がつけるものです。伝統的には、赤い顔料を用い、眉間の少し上のあたりに描いていますが、最近では、ビンディの色・形を模したフェルト状のシールが販売されており、そちらの利用がメインという方も多いです。他にも、素材がキラキラしているもの、カラフルなもの、ビーズ等の石が散りばめられているもの等、様々なバリエーションがあり、その日のオケージョンやサリーの色、気分に合わせて選んでいるようです。

  • 額の丸印は「ビンディ」
  • フェルト状のシール

■インドのトイレ

ひと昔前ですと、インドではトイレの際にペーパーを使わず、トイレ内の付属の桶等を器用に使い水できれいにしていました。右手に手桶を持ち、左手でお尻を洗う、いわゆる手動ウォシュレットです。トイレ内にはペーパーが置かれていないため、旅行の際は持参する必要がありましたが、現在はほとんどのトイレでペーパーが設置されるようになりました(使用済みのペーパーは流さず、付属のごみ箱に捨てます)。時に公共のトイレ等は激しく汚れている場合もあり、覚悟が必要なことも多かったですが、観光客が増え、各地のトイレ事情もやや良くなって来ていると感じていますがいかがでしょうか。

■手で食べる

インドでは元来、食事の際は食器を使わず自分の右手を使って食事をしていました。これはインド特有の「浄・不浄」の概念に基づいた習慣です。 誰が使ったのか分からない食器類を使うよりも、自分の手の方が信用できるのです。また、上記のようにトイレでは左手を使うため、食事の際は基本的に右手のみを使います。北インド側はナーンやチャパティが主食ですので、まだ手で食べることは容易ですが、南側は米中心でかつカレーも水分量が多いので、普段手を使わない日本人には手で食べることは簡単ではありません。現地の方は手のひらを少し窄めて器用に食べていますので、ぜひ見様見真似でやってみてください。またインドの方は水差しやペットボトルから水を飲むときも絶対に口を付けず、少しボトルを浮かせて飲みます(通称インド飲みといわれています)。誰かと共有しているもの・するかもしれないボトルには口を付けないでおくことと、ご存知の通りインドは年間を通して蒸し暑いことが多いため、口を付けて飲んでしまうことでボトル内に雑菌が繁殖するのを防ぐためです。

■カースト

「カースト」はもともとポルトガル語で「家系・血統」を意味するCastaに由来する言葉で、15世紀ごろに持ち込まれた外来の概念です。インドには、もともと伝統的な身分制度の「ヴァルナ」と「ジャーティ」という体系がありましたが、これらが混同され植民地主義のなかで利用されてしまったといえます。
カーストというと司祭階級のバラモン、武士階級のクシャトリア、庶民階級のバイシャ、隷民階級のシュードラに分かれ、さらにカースト内の身分に入らない不可触民という人々が存在するという点のみで理解されることが多いですが、これは「ヴァルナ」と呼ばれるもので、本来「色」を意味する言葉です。この「ヴァルナ」の起源については神話的起源説と、アーリア人がインドに侵入後に政策として立ち上げ宗教に取り入れた説等があり、今も研究が進められています。

一方「ジャーティ」とは、「出自」・「生まれ」という意味を持つ言葉で、地域社会の日常生活において独自の機能を果たしている集団のことです。例えば、洗濯屋のジャーティ<ドービー>、鍛冶職人のジャーティ<ローハール>等インド全体で2000~3000にも及ぶとされ、彼らは特定の職業をもち、親子代々その職を世襲してきました。こういった制度はインドの近代化においてはそのスピードを減速、または停滞させる原因とされる一方、経済発達の一定の段階においては、生産性を高めそれを維持するには有効でした。また各都市に息づく伝統工芸品を見ても分かる通り、特殊技能を高度に発達させる役割も果たしました。広大なインドにおいて、それぞれが自分たちの役割を担うことで、社会が潤滑に機能してきたという一面もあったといえるかもしれません。

現代では、憲法によりカースト差別は禁止され、不可触民や部族民の社会的・経済的向上を図る政策がとられるなど、様々な改革が進んでいます。またこれまでのジャーティの枠にないIT等の新しい分野ができたことで、枠を飛び出してチャレンジする者、大都市に出て個人の地位上昇を求める者も増えました。インドのヒンドゥー社会において農村部ではまだまだカースト制度の影響が無くなることはないですが、都市部ではその意識は曖昧になってきている様です。

■インド建築の魅力

広大なインドは多種多様な建築様式があり、その土地の宗教、気候、建築材料等の条件や年代、影響を受けた文化、その時の流行等により本当に様々です。西インドにはサンチーやアジャンタ・エローラをはじめとする仏教寺院が建てられ、原始仏教の最高傑作ともいえる絵画や彫刻も数多く残っています。その後、5~6世紀頃にバラモン教が土着信仰を吸収しながらヒンドゥー教として台頭し始めると、外壁を豪華絢爛に装飾するヒンドゥー寺院独特のスタイルが発展し、石造建築の基本となって全土に広がりました。 その後イスラム教がインドに伝わり、偶像崇拝を禁じたイスラム教は、神々がおおらかに表現されたヒンドゥー建築と衝突しましたが、16世紀以降のムガル帝国のもとではそれらと融合して独自のインド・イスラム建築を生み出していきました。また石造建築が主流ななか、ヒマーチャル・プラデーシュ州やケララ州では、ヒマラヤ杉を用いた木造建築も見られます。近代に入り、イギリスをはじめヨーロッパからの植民地支配がはじまると、コルカタやムンバイ、コーチン、ニューデリーなどには、植民地時代の名残りであるコロニアル調の建築が多く現存しています。

インドのお土産

■紅茶

やはり代表的なインド土産といえば紅茶ではないでしょうか。お土産物に迷った時も、紅茶が無難です。インドは紅茶の名産地であり、ダージリン、アッサム、ニルギリ等世界的に有名な茶葉が生産されています。
●ダージリン:ダージリンティーは世界三大紅茶に数えられ、マスカットのような優雅な香り、しっかりとした味わいが特徴で、「紅茶のシャンパン」といわれています。そのままストレートで淹れ、味、美しい紅茶の色、香りも味わってください。
●アッサム:インド北東州・アッサムにて栽培されている紅茶。香りが良く強い味わいがあり、コクがあります。紅茶の色も濃く出ますので、ミルクティーとしてよく飲まれています。
●ニルギリ:南インドのニルギリ山麓周辺で栽培されている紅茶。ニルギリ・ティーは香りや風味にクセがなく、利用方法が幅広いお茶です。紅茶工場ではできたての茶葉でつくられたお茶も試飲でき、お土産用のお茶も購入できます。

いずれも、現地や都市部のお土産物屋にて可愛くお土産用にパッケージされたものが販売されています。また、スーパーにも必ず紅茶コーナーがあり、気軽に飲めるティーパックのものも市販されています。値段もお安いので、バラまき用のお土産としてもよいのではないでしょうか。

■スパイス

みなさんご存知かと思いますが、インドのカレーは大変刺激的な味付けがされています。それもそのはず、インドカレーには多種多様のスパイスが使われておりいわゆる「カレー」とは具材をスパイスで煮たもの。インドの各家庭には必ずスパイスボックスがあり、スパイスはインド人の食生活のなかで絶対に欠かせないものとなっています。お料理や具材、調理方法によってスパイスの種類や量を調合して使います。代表的なものはウコン、ターメリック、カルダモン、クミン、レッドペッパー、シナモン、コリアンダー、等々。日本に帰国後インドカレーを手作りしたい方は、ぜひ買いそろえてみてはいかがでしょうか。シナモンやサフラン等、お料理全般に使えるスパイスも比較的お安く手に入ります。複数のスパイスの調合が不安な方は、「ガラムマサラ」というミックススパイスを使うと味が定まっているので安心・おすすめです。 また、インドカレーを作るのは大変そうだけど日本でも本格インドカレーが食べたい!という方には、インドの各料理店が出しているレトルトカレーも人気です。

  • スーパーで売っている紅茶のティーパック
  • インドの家庭に必ずあるスパイスボックス
  • 南インドのミールス(大皿料理) 全てのカレーがスパイスたっぷりです

■伝統衣装、布製品

旅行先で現地の伝統的な衣装を仕立ててみるのも楽しみのひとつです。インドの伝統的な衣装は、各地によって様々ではありますが、女性のサリーをイメージする方が多いと思います。サリーは通常3点セットで着るもので、サリー(長い布)、ペチコート(腰に巻くあて布)、ブラウス(丈の短いシャツ)をセットで用意します。サリーは通常長さ5~6m程の一枚の布を包むように身体に巻き付け、正しく着るにはコツが必要です。サリーはちょっと敷居が高いという方は、シャルワール・カミーズ(インド北西部の民族衣装ですので、パンジャービードレスとも呼びます)がおすすめです。こちらは男性用・女性用どちらもあります。シャルワ-ル(ズボン)とカミ-ズ(丈の長いブラウス)、ドゥパッター(ショール**女性のみ着用)でセットです。既製品でコットン素材のものですと、バザールやスーパー等で1000ルピー以下で手に入ります。大変風通しがよく、酷暑期を乗り越えるにはピッタリの衣装です。 その他、インド綿を用いた布製品もお土産に大変人気です。「Fab India」、「Soma」、「Anokhi」、「Cottons」等、インド綿、インドシルク等国内産の素材を使ったファブリック製品を販売しているお店が多数展開されており、素敵なデザインのシャツ、クルタ―、ショール等の衣類をはじめ、ベッドカバー、シーツ等のベッド回りの製品、クッションカバー、テーブルクロス、巾着袋、カバン等お求めいただけます。特に「Fab India」はインド全国的に支店があり、大きな街でしたら必ず店舗が構えられているほか、布製品以外にも素材を厳選して作られたオーガニックの食品、石けん、スキンケア用品、大きな店舗ですと家具等も販売されています。一度入ると1時間はあっという間に過ぎてしまうほど、素敵な品揃えです。

■アーユルヴェーダ製品

アーユルヴェーダとは、サンスクリット語のアーユス(Ayus/生命、生気)とヴェーダ(Veda/知識)を組み合わせた「生命の知恵」という意味で、約五千年の歴史をもつインド・スリランカ発祥の伝統医学です。現在は、アーユルヴェーダといえばマッサージ、というイメージが先行していますが、本来のアーユルヴェーダの理論は大変深く、マッサージやサプリ、基礎化粧品等は、アーユルヴェーダの一端の要素を掻い摘んでいるものの範囲を出ません。ですが、化粧品、サプリなどは市販されており気軽に取り入れられますし、成分もハーブ、スパイス、薬草等自然の純度の高いものを使用していますので、安心・安全です。近年では、現地のマダム御用達ブランドの「KAMA」、「Forest Essential」をはじめ、スーパーでも売っている「Himalaya」等が人気です。製品はクリーム、化粧水、オイル、シャンプー等をはじめ多岐にわたり、ちょっとしたギフトボックスもあるので女性へのプレゼントにも喜ばれます。

  • 日本でも根強い人気の「KAMA」製品
  • 言わずと知れた「Himalaya」ブランド。廉価で手に入れやすく効果は確か

■インドのワイン

「インドのワイン?」 みなさんのなかでは、あまりピンとくる方は少ないかもしれません。最近では日本のインド料理屋でも見かけるようになったインド産ワインですが、意外と美味しいどころか、なんとヨーロッパ市場では受け入れられ、見事な成功を収めているのです。実はインドでは、古くからワイン造りの文化はあったものの、産業としては全く成長せずに長らく停滞状態でした。近年、欧米でワインの楽しみ方を覚えたインド人が増え、そのノウハウ等をインドに持ち帰り、インド各地でワイナリーを立ち上げました。なかでも西部マハーラシュトラ州の高地に多くが集中し、一番人気といってもよいブランド「スーラ・ヴィンヤーズ」もここ、ナシックに存在します(スーラ・ヴィンヤーズではリゾートホテルも併設され、こちらの滞在も大変おすすめです)。 他にも、マハーラシュトラ州内では「ヨーク(YORK)」、「ソーマ(SOMA)」、「フラッテリ(FRATELLI)」、バンガロール郊外に「グローバー(GROVER)」もあり、どれも大変人気です。

■その他のお土産

上記に紹介した品物以外にも、インドにはたくさんのお土産物があります。銀製品、細密画、インド映画のDVD、音楽CD、アクセサリー、Tシャツ、宝石など。地域ごとの特産品もあるので、本当に数えきることができません。例えば、インド北部のカシミール地方では昔ながらの伝統工芸品が多数あり、ペーパーマッシュ製品、カシミアのショールやマフラー、絨毯、木工細工、銅細工等、様々です。またその土地土地で人気のお菓子や食品、特産品もあります。ぜひ町の商店街を歩いてその土地のいい品物に出会って下さい。また土産物屋で値札のついていないものは料金交渉も可能です。最初は値切ることが憚られるかもしれませんが、次第に店主との交渉も楽しくなってくることでしょう。

  • ジャイプル特産のブルーポッタリー
  • カシミール特産・絨毯

旅の注意事項

トイレ

最近ではホテルや都市部のレストランは洋式トイレが主ですが、田舎の観光地では時にインド式(しゃがむタイプ)のトイレもあります。ホテル、レストランではトイレットペーパーは備えがありますが、インド製の紙は水に溶けにくく詰まりやすいので流さずに付属のごみ箱に捨てます(ゴミ箱がなければ水に流して大丈夫です)。観光地や田舎のトイレには紙の備えはないことが多いので持参してください。

服装

観光客の服装に制限はありませんが、イスラム教徒が多く暮らす地域では、女性のノースリーブ、短パンといった露出の多い服装はお控え下さい。イスラム教のモスクやヒンドゥー教の寺院の内部見学の際は、男性もこのような服装は避けたほうがよいでしょう。

水・食事事情

インドの水道水を飲むのは極力避けた方がよいでしょう。ペットボトルの水が安心です。また、インドの食事といえばカレーがメインとなりますが、油の量が多く、食べ過ぎは胃もたれ、消化不良等不調の原因となります。最近都市部ではインド料理以外のお店(日本食、中華、イタリアン等)も増えてきておりますが、田舎では基本的にインド料理屋しかないことが多いです。辛いもの、スパイスが苦手な方は予め日本から補助食を準備しておくと良いでしょう。

モスク、ヒンドゥー寺院の見学 モスクや聖者廟、ヒンドゥー教の寺院を訪問する際は、靴を脱ぎ、脱帽し、女性はスカーフを着用します。写真撮影は礼拝する人の邪魔にならないようにしてください。
ぼったくり・詐欺師 残念な話ですが、ニューデリー駅周辺を中心に、未だに出没しているようです。具体的には、列車乗車予定の観光客に近づき「列車はキャンセルとなった」等と嘘の情報を伝え、所定の事務所に連れて行き高額なツアーを無理やり組んで買わせる、という内容です。駅周辺で声をかけて来る者は高確率でそういった詐欺師グループの者ですので、十分注意してください。
博物館 各地の博物館は原則写真撮影が禁止か、有料です。入館前に確認をお願いします。
写真撮影 女性、特に年配の方は写真に撮られることを嫌がります。撮影の際には性別を問わず、必ず本人に確認してから撮影して下さい。また、後ほどお金を請求されることもありますので十分にご注意ください。
通信・WIFI・郵便 インドでは旅行者も空港等で気軽に携帯のSIMカードが購入できます。SIMのアクティベートにはやや時間がかかることもありますが、SIMフリーの携帯電話をお持ちの場合は、SIMを差し替えることで問題なくデータ通信、通話が可能です(旅行者用のパッケージプランがあります)。また最近のインドは、WIFI事情もどんどん便利になってきており、空港やカフェ、レストラン、ホテル等WIFI設備が備わっていることが多いです。ただ高級ホテルは別途WIFI料金が必要な場合が多いのでご注意ください。郵便事情ですが、はがきを日本へ送る場合、切手代は15ルピー、手紙の場合は25ルピーです。届くまでには1週間~10日程かかります。ただ都市部からではなく田舎から投函した場合、何か月も後に届いたとか、結局届かなかったという声もちらほら。確実性を持たせたいのであれば、都市部の空港のポストに投函することをおすすめします。
海外旅行保険

旅行保険のご加入はあくまでも任意ではありますが、インドの場合、航空機や車両、列車の事故の際の補償はほとんどありません。また旅行中、慣れない環境で病気になる方も少なくありません。そういったトラブルや病気に備え、予めインド到着前に海外旅行保険に加入されておくことをお勧めいたします。

トップ > インド旅行ガイド